自分は、将来絶対に、母親にだけはなりたくないと思っている。

こちらの言葉もなにも通じない生き物を、身体を痛めて生み出して、
それを莫大なお金と時間を使い、忍耐と責任をもって育てぬかなければいけないなんて、
なにが悲しくてそんなことをしなければいけないのかわからない。

既に生きていて話し合える人間相手ですら理解できなかったり、嫌いだったりするのに、
話し合えないし、見た目可愛くもない生き物を、泣き騒ぐ生き物を、好きになれる自信がどこにもない。

それでも、そんな生き物でも、たとえば莫大なお金と時間を使い、忍耐と責任をもって育てぬいたとしよう。
その結果が、
たとえば私のような、きっと母親からみれば何を考えているかわからないような生き物になるかもしれないし、
たとえば弟のような、反抗しかしないゴミになるかもしれないなんて、
リスク高すぎてギャンブルにもなりゃしない。

だいたい考えてもみてくれ、性別すら希望通りに生まれてくるかがそもそも半々の確率なわけで、
正確には半々じゃないかもしれないけど、とにかくそれで希望にそぐわない結果が生まれてきた時点で
もうその希望通りじゃないものを背負って生きていかないといけないわけだ。

難易度高すぎるでしょう。
自分にはとても無理だ。

だからそれをやりぬいた自分の母親のことは尊敬してる。
でも見習いたいとは全く思わない。

育ての親のことを見習いたいと思わない子に育つかもしれない、
自分のような、大嫌いな自分のような人間に育つかもしれない。
自分は自分のような他人のために莫大なお金と時間を使うなんて嫌だ。

もしかしたら自分なんかじゃない、もっと素晴らしい人間に育つかもしれない。
でも現実、自分の母親は自分のような人間を生んでしまった。
自分は自分のような人間に育ってしまった。
その可能性が現実に存在することを知っているから、もう自分は母親になりたいなんて思えない。

生物として、雌として、失格した思考だとおもうけれど、本気でそう考えている。